せら夢公園 自然観察園ブログ

自然観察園、世羅台地の野山と田んぼからの日々のたより

ちょっと昔の自然観察園

自然観察園のあったところは、
30年ほど前までは耕作されていた田んぼ、
棚田でした。
今の整備している湿地の位置は、
当時の田んぼの位置とほぼ同じだそうです。
また、貧栄養湿地横のあずま屋のところには
それ以前に家があり、住まわれた方がいたと聞いています。

開園したばかりの時、
その頃を思い起こさせるようなものを見つけていました。


湯のみ

何の変哲もない湯のみ茶碗ですが、
「津久志農業協同組合」
の字が赤くプリントされています。
景品か何かだったのでしょうか。

現在、世羅町の地域は合併して
尾道市農協の管内ですが、その前は
世羅郡農協がありました。
世羅郡農協は発足当時、広域的な郡の農協として
先進的事例であったと聞いています。

津久志農協があったのはそれ以前のこと。
地域の歴史を感じます。

富栄養湿地の横にある手水鉢も
その家にあったという臼を用いています。
樋も改修前のトンボ池にあった
池樋を加工して設置しているものだそうです。


手水鉢

それを知って見るとまた味わいがありますね。

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その後、津久志農協について
「世羅町のあゆみ」(1984年)
という旧世羅町の町制施行30周年記念誌を見させて頂いたところ、
年表に
(昭和34)1959年4月 ○西大田農協と津久志農協が合併して世羅農協が発足。
(昭和46)1971年1月 ○世羅郡内5農協が合併して世羅郡農協が発足する。
とありました。
ということは、津久志農協の名前が入ったあの湯のみ茶碗は
少なくとも半世紀以上前といえると思います。

おそらく、その当時はあのヒョウモンモドキたちも、
今の自然観察園の場所でも多く見られたのではないでしょうか。

ちなみに、
1959年は、今の天皇陛下が皇后様とご成婚なされた年
1971年は、円が変動為替相場製へ移行した年
だそうです。
管理人の生誕にはまだ十数年を待たねばならない
といった時代です。



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  1. 2012/11/24(土) 12:38:03|
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